「生き物を通して命の大切さを知る」というお話
皆さんどうも、テルです(☆^ ^☆)
今回は「生き物を通して命の大切さを知る」というお話をしたいと思います。
ちなみにPART.1です。続きます。
突然ですが、昔の人はカエルのお尻に爆竹を突っ込んだり、トンボの羽をむしって遊んでいたそうですが、知ってました?
子どもの残酷さを体現したような遊び、今の時代では見かけたことがありませんし、やろうとする子どもも恐らくいないでしょう。
というのも、昨今の様々な規制により外で遊ぶ子どもも減少の一途をたどっていますし、尚且つ 生き物に触れる機会が昔より減ったことも一因だと思います。
是非とも子ども達には慈しみの心を持って生き物に触れ、育てる喜びを味わってほしいものですが、
命の大切さを知る一つの機会として「生き物に触れる」ことが挙げられます。
では、「生き物を通して命を大切にする」とは具体的にどういうことなのか?
「生き物を無闇に殺さない?」
「世話をきちんとする?」
もちろん正解です。正解なのですが、もう少し突き進んで考えてみましょう。
昔の人は生き物を殺して遊ぶという残酷な遊びをしていましたが、今の世の子ども達も蟻を踏み潰したり、飼っていた虫、魚、動物の世話をサボって死なせちゃったりしていませんか?
私も昔そういう記憶があります。
そういう時、大人達はなんて声を掛けますか?
子どもが蟻を踏み潰して「そんな悪いことしてはいけません!」と叱ったり。
子どもが生き物の世話をサボったら「だからアンタには生き物は飼えないって言ったじゃない!」
とか言ったり。
確かに生き物を死なせてしまったのは子どもの責任です。
ただ生き物を通して学びを得ようとするならば、少し言い方を変えてみては如何でしょうか?
「蟻だって生きてたよね?○○君(ちゃん)がお友達に体を踏まれたらどんな気持ちになる?」
子どもは恐らく「イヤ」と答えるでしょう
そしたらすかさず「だよね?そしたら蟻さんを踏むのも可哀想なんじゃないかな?」的な感じで答えると子どもの学びにもなると思います。
ここでの学びは
「他者の痛みを知り、大切にする」
という所にあるのではないかと考えます。相手を傷付けるのは良くないと具体的に想像して子どもも学ぶと思います。
友達を叩くのは良くないこと、痛いこと、傷つくこと。そんな事が分かるのではないでしょうか。
生き物の飼育をサボって死なせてしまっても、自分の立場にたって考えさせると責任感が芽生えるのではないでしょうか?
例え飼育に失敗してしまっても我々大人たちが「どうすれば死なせずに最後まで飼えるかな?」と聞けば子どもは調べるでしょう、そして大人に聞いてくるはずです。その時は一緒に考えてあげれば、子どもの成長に繋がるはずです。
要は我々大人の声掛け次第なのです。どう関わるかで子どもの考え方というのは変わってくるはずです。
是非とも子どもの 生き物と関わりたいという気持ちを大切にしてあげてほしいと思います。
次回!「生き物を通して命の大切さを知る/食育編」をお届けしたいと思います!